潮時

ambivalenzaR

2010年04月05日 01:17




上記写真は約4年前の3人。

だいたいなんですが、5年目突入しました。
そんな中、


この頃とみに
何事にも『潮時』というものの存在が見え隠れしています。

『潮時』とは現状との離別など悪い方だけに思われがちですが…
好機や転機の意味もあるようで。

潮がひいている時は、満ちる事は想像できなくて
満ちている時は、引く事なんか考えない。

でも、その時は必ずきてしまうのです。

望んでいようが望まないでいようが。
自分では史上最悪の干潮でも、
他人から見れば満潮の前兆でだったりします。



だから、要は、『潮時』を受け入れたその後が重要なんだと。


なぜ今こんな事を思うんだろう?と考えました。

この頃、いろんな色の素敵な風が吹いています。
その風を「吹いている」と感じれているからだと思います。


顔に風を感じる事ができるというのは
顔をあげている証拠。

でもそれにいたるには無くてはならない人たちがいるという事が絶対条件。
私一人ではいつまでも風は頭上を吹き抜けるだけ。


ありがとう。『潮時』にいてくれて。

引くだけと思われた『潮時』を
満ちて行くものにしてくれた、同居人や遠く離れた友達、コレを読んでくれている友達に最大級のHug&Kiss。
ずっと「満潮になるよ~」と聞く耳を持たない私に、叫び続けていてくれた大好きで大切な人たち。


そうよね。
次の潮にも魚はいます。
もっと大きな魚かもしれないし
小さくても大群かもしれない、もしかしたらとってもキレイな魚かもしれない。
この潮にいなかったら
次の潮かもしれない。
そしたら引く事も怖くない。…どきどきはするけど。


でも、そう思える力をくれて、本当にありがとう。


これからもみんなで切磋琢磨、良い風を吹かそうぞ!



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