365個
今朝
歯ブラシを持つ自分の手に興味を持ってしまった。
骨筋が張りに張った甲と、
指の付根の鋭利に尖った折り返し部分にいたっては、
はて…こやつはメリケンサックではなかろうか、と
鏡に向かい拳を突出してみる始末。
この拳で、
この掌で
何を掴んで、何を離してきたのだろうか。
三十と幾ばくもいかない、遠浅潮干狩り人生の中で
この掌は
何を掴んで、何を残してきたのだろうか。
何を掴めず、何をこぼしてきたんだろうか。
歯ブラシを口につっこんだまま掌を開き、
まじまじとその薄っぺらい肉厚の中に刻まれた
無数の線を見つめあげ、無言の開閉を繰り返し、
最後には、何をも付入る隙を与えるものか!と力一杯ぎゅっと握り閉めてみた。
…開いた時に、どうせなら掌から浅蜊でもババーンッと出てきてくれればおもしろいのに…。
いや、もしかしたら、今なら…と、
邪念なんてないですよ~っと無邪気なフリと根拠のない淡すぎる期待を胸に
浅蜊の出現をこそっと念じて掌を開いてみる。
が、
むろん、浅蜊は現れるはずもなく、見えるは掌に食い込んだ爪先の跡のみ。
念じた自分に少々、いや、だいぶの後ろめたさを感じながら、
口をゆすぐ為にその手で蛇口をひねった。
あ、ずれた。
っと濡れた掌を見つめなおす。
そうそう。この掌で何を掴んで、離してきたのかが今の議題。
どうも考え事が一定しないクセがあるらしい。
全く、浅蜊が出るかでないかは当面どころの問題ではないのに、
どうしても本題より気になってしまう。
浅蜊が蛤だろうと蜆だろうと知ったこっちゃない…あれ、蜆は淡水か?汽水か?
ほら、もうずれた。まったくもって厄介。
歯ブラシを棚に戻し、仕切り直し。改めて集中。掌をじっくりみてみた。
…むむ、むむむ、…おかしい。
さっきまでは、たいそうな額縁に入った写真のように客観視されていた手に
今は何も見出せない。
見慣れた肩から伸びる、便利な先端部品にすぎない。
驚異的なスピードで過ぎ去る朝に、
わざわざコマ送りにしてまで挑んだ難問を、
浅蜊のイリュージョンでこんなにも簡単に遺物化。
まったく…
そもそも自分すら掴めてないのに、何かを掴むも掴まないもあったもんじゃない。
という感じが今日の一日の始まりでした。
何気なく思った事をしっかり答え?まで導くのはなかなか難しいですな。
けど、一日に一件でも、こんなことでもまじめに考えれる時間があれば、一年で365件貯まるのですね。
自分の事が365個わかるかも…。
ちゃんちゃん。
関連記事