気遣い。
2日続けての色校もおわり、
つかの間の休息。
内部の人間からいろいろな話を聞く。
沢山のわだかまりを吐き出すことによって、それぞれが自分の答えを再確認する。
つまるところ
すべてにおいて、お互いの気遣いのなさが溝を作る。
共に歩む時間が多ければ多いほど、どうしてもいろんな事をないがしろにする。
『言わなくてもわかっているだろう。』
もちろん、わかっている部分もある。
しかし
それに至るまでには、いろんな気遣いをしたのではないか?
相手の事を考え
相手を思いやる事をしていたのではないか?
お互いが気遣いをしたからこそ、心を開きあい、
『言わなくてもわかる』関係になったのではないか?
そんな関係になったからって、気遣いをやめていいのか?
慣れる事と気遣わないのとは、種類が違う。
相手をうっとうしく感じたときこそ
自分の態度を考え直すべきではないだろうか?
相手が当たり前に接してきたときこそ
初めてあったときの事を思い出すべきではなかろうか?
月並みだけど
『ありがとう』と『ごめん』だけでも
ちゃんと口に出さなければいけないのだと思う。
それは『言わなくてもわかること』とは、すでに別次元ものだと思う。
忘れないようにしなければ。
『人の振り見て我が振り直せ』
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