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選択

2011年03月07日


選択を迫られた。


選択に迫られると、よく母が言っていた事を思い出す。
モノを買う時に言われていた言葉だ。


「迷ったら買わない」


選択する時にきたら、未だそれが脳裏をよぎる。


どっちを選んでも2番目。
1番じゃない。

結局ふとしたときに、選ばれなかった方を思い出す。
「あの時、こっちを選んでいたら…?」



なんて、自分をも裏切る考え方。
選択できない自分をさしおいて、そのモノに頼る。
けど、そういう考え方に、驚きはするけど否定はしない。
かつて自分がそうであったから。
ま、
私は選択できないときは『選ばない』か『どっちも選ぶ』を選択するけどねw


私はこの考え方を植え付けられてからは、選択したモノに
全身全霊で挑む。
欲しいものは全身で求め、ささげ、守る。

利他的であり、ある意味、限りなく利己的な考え方かもしれない。
どっちにしろ、その為の努力は惜しまない。



仕事で
「要望をきいてくれる、やさしい人」と言われた事がある。

そりゃそうだ。

その時にはそういう人に見られるようにしているんだもん。
そう見てくれなきゃ困る。
自分で選択したものを忠実に実行しているんだもん。


「演技?嘘?」

それを演じてる言うならば、そうなのかもしれない。
確かにはじめは「どう見せたいか?」で始まる演技。


でも、そう見られた時点で演技から『自分』にかわる。
本当の『要望をきいてくれる、やさしい人』が出来上がる。
新しい私の誕生。




本当の自分ってのは、嘘だと思っている自分も『本当の自分』なんだよね。
本当の自分なんて自分にしかない。



『どう見られるか』なんて、自分が作っている一部に過ぎない。

そうでしょ?

あなた方はそれだけじゃない事ぐらい、私にはわかっている。


どうせなら『どう見せたいか』を考えようよ。

『どう見せたいか』で、
『どう見られるか』が、変わってくるんだから
自分で
『どう見せたいか』を選択しようよ。







ね。




とにかく
今回の選択は一方を
選びました。



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Posted by ambivalenzaR at 10:35│Comments(2)
◆ この記事へのコメント
逆の立場のことも、職業柄考えました。
相手に選択させる、ということは、しばらく待たなきゃいけん。
自分で選択すると責任とらにゃいかんから、人間迷います。
怖いけれど、でも腹のくくり方も覚えるよね。

焦れるけれど、待つっていうのも大事なんだよなぁ・・。
子供の迷いに付き合わず、親とか大人とかが決めちゃうって、良くないと思うんだよねぇ。
Posted by 園 at 2011年03月07日 20:21
>園ちゃん

そうなんだよ、待たなきゃいかんのだよ。
それも自分で選んだ『待つ』選択なのかもね。
そして、そう責任とらにゃいかんのです。
かなり勇気が必要必要。
だからこそ、子どもに迷わせて、大人は見守ってて欲しいざます。
間違った選択をして間違ってしまった時に、責任の取り方を教えて
支えてあげたいね。>理想論
どえらい方向の選択なら『考え直せ』っていうのは必須だけどw
Posted by ambivalenzaRambivalenzaR at 2011年03月07日 22:02
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